カウンセリングルームの窓から #191


カウンセリングルームの窓から(191)

 

―大切な忘れ物―

 

『私は間違ったことや他人に後ろ指さされるようなことは何もしてきていません。
それなのに、どうしてこんなに気が滅入り、落ち込むんでしょうか。』

「心療内科の先生には『今はうつ状態』と云われたんですね。」

『ハイ、薬も呑んでいます。』

「それなら、うつ状態に対応する生活態度と服薬を続ければ次第に良くなると思いますが、井口さんはこのカウンセリングに何を求めているのですか?」

『私は自分はうつ病ではないと思うんです。
確かに身体を動かすのは億劫ですし、何もしたくないし、食欲も性欲そんな気力もありませんし、夜も寝ませんけど・・・。』

「それだけ聞くとうつ状態に思われますが。
井口さんの心の底で何かが騒いでいる、或いはイライラしたり何かやり残したことがあるように感じる。」

『そうなんです!
定年退職し、半年はゆっくりできたのですが、それからやるべきことが無くなったというより、62年間にやるべきことを何もやっていないような感じがして身体に力が入らないんです。
朝酒や朝湯で元気を出そうと思ったのですが逆効果でアウトです。』

「何をやり残したのでしょうね、井口さん。」

 

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井口さん(仮名)は、実直で竹を割ったような性格で、これまでの人生を正直に懸命に生きてきたのは事実だと思います。

不倫、賭けごとには無縁、楽しみは週末に仕事仲間と赤提灯を少しハシゴをする程度です。

3人の娘さんも無事嫁がせ、奥様もおっしゃる通り、父親としても夫としても合格点と言えると思います。

立派に勤めあげた井口さん、父として夫として責任を果たした井口さん、大出世ではないけれどそれなりの会社の地位までに至った井口さん。

世間では後ろ指どころか賞賛されるでしょう。

 

井口さんとの面談を重ねた私は、身体を意識的に動かすこと、好きな作家の本を1日1ページだけ読むこと、そして起床時間就寝時間を徹して守ること等・・・を課して、井口さん自身の体調やドクターの許す範囲で行動パターンを変えてもらいました。

 

半年が経ち身体の方はかなり動くようになっていきましたが、やり過ぎると体調が崩れるので制限を重視し、メールや電話で連絡調整をしました。

次第に本人は、「自分はうつ病ではない」と確信してきました。

しかし、確かにうつ状態はあったので、その点は配慮しまければいけません。

 

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『お陰さまでだいぶ良くなり薬も減りました。』

「良かったですね。
それにしても井口さんは謙虚ですね。
素直な性格は必ず良い結果に繋がります。
悪い方向へはいきませんよ。」

『ただ・・・まだイライラや、やり残した感覚があって、しっくりしないのです。』

 

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井口さんの苦悩は見かけのうつ状態ではなく、自分自身に対しての、”挑戦をしていない事に対する”苦悩なのです。

しっかりと仕事をしてきて、家庭生活の責任も果たしてきて、自制心もあるし、言う事なしではないかと皆さんは思われる事でしょう。

 

しかし実は井口さんは”逃げて”いたのです。

本人がよく知っています。

 

結婚も家庭も仕事も子育ても・・・。

彼にとっては”逃げ”なのです。

逃げているうちに、仕事や家庭生活をいいことに彼は彼自身の中の大事なことを忘れていたのです。

実は半年間の面談の中で井口さんは、

『幼い時、祖父の葬式で”死ぬ”ということを考えました。
大人に「どうしてお祖父ちゃんは死んだの?」と聞くと、「病気」だからとか「歳だから」と教えてくれましたが、「どうして病気になるの、どうして歳をとるの」と問えば「うるさい子だ」と片づけられました。年端のいかない者にマトモニ答えてくれる大人はいなかったのです。』

という話をした事がありました。

 

井口さんは中学、高校でもそのことが気になっていたが受験に塗れて無意識のうちに棚に上げていたと言います。

無意識の棚に置かれた”老い・病い”という観察材料は、いつしか埃にまみれになり、井口さんには”それ”が見えるどころか探すことさえも意識になくなってしまいました。

仕事、結婚、家庭生活は、彼の中野心の棚さえ覆い隠していたのです。

 

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「井口さん。
老い、病について、どうして老いるのか病になるのか一緒に答えを出しませんか」

『ええ、ぜひお願いします。
ずっと埋もれさせてしまいましたが、もう逃げないで結論を知りたいのです。』

「井口さんは逃げていたのではありませんよ。
受験、仕事、結婚、日常生活等を真面目に謙虚に生きてこられたのです。
その経験が”老い・病・死・離別”等を知る礎になると思います。
むしろ懸命に生きてこられたのだからこそ、その機会(縁)があったのかもしれませんね。」

『やっと、めぐり会えた。
それだけでも落ちつけます。』

 

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人は皆、”大切な何か”を忘れ落としてしまう事があります。

忘れたことも落として来たことも記憶にはないのです。

 

さて話は戻りますが、誰しも自分は死とは無関係のように生きています。

老いとは無関係のように、病とは無関係のように・・・。

 

しかし人は必ず死ぬのです。

それでも、死と向かい合い、観察すれば死の恐怖はありません。

 

皺が増えたらじっくりみてみる、
白髪をじっくりみてみる、

そんな作業から幸福が勝手にやって来るのではないでしょうか。

 

”生きる”ということは死なない為に生きている、ただそれだけなのかもしれません。

 

井口さんはやっと廻り会えた事で、”老い・病・死”を見つめることから始まる、”心の落ちつき・やすらぎ”に気づくでしょう。

それは理性的な”不安・恐怖”でもあります。

理性的な不安・恐怖があるからこそ、心の落ちつき・やすらぎを実感できるのでしょう。

しかし、人は感情的に観て不安・恐怖を忌み嫌います。

だから、意味ある勇気(ちから)が欠落してしまうのでしょう。

井口さんは”逃げ”と言っていましたが、その勇気を実生活の中で培ってきたのだと私は思います。

 

 

次回もカウンセリングルームの窓から(192)です。